「初恋」(中原みすず)

この作品を書いた「真犯人」は誰だ!

「初恋」(中原みすず)新潮文庫

愛情に飢えていた
高校生・みすずが安らげるのは、
入り浸っていた
ジャズ喫茶“B”だけだった。
ある日みすずは、
“B”で親しくなった岸から
「勝負の計画」を打ち明けられる。
それは「十二月十日の朝、
現金輸送車から
金をいただく」…。

「私は府中三億円強奪事件の
実行犯だと思う。」という衝撃的な一文。
「初恋」というタイトルとは
とうてい合致し得ない書き出しでした。
まずは読んでみてください。
そして読めば必ず
疑問が生じるはずです。
「この作品は小説なのか、
それとも事実なのか」という。
私には後者としか思えませんでした。
理由はいくつかあります。

まず、作品の構成の特殊性です。
まえがきがあり、
あとがきらしい最終章があり、
小説というよりは
手記の体裁をとっています。
また、作品の主人公は中原みすず、
作者の名がそのまま使われています。

次に、作品の主題の不明確な点です。
明らかに三億円事件そのものを
描くことに比重が置かれています。
「初恋」というタイトルは、
三億円事件を実行に移した主人公の
心の奥底にあるものです。
本作品が小説ならば、テーマ設定の甘い
残念な作品ということになります。

さらに、登場人物の位置付けが
不明な点です。
普通、小説の作者は無駄を嫌います。
なぜこの人物が必要なのかを
綿密に設計し、登場人物一人一人に
意味づけをするはずです。
しかし、「単車屋の小父さん」など、
役割や位置付けが不明な人物が
何人か登場します。
これも小説としては完成度が低いと
見なされる一因となるはずです。

この作品に見られる
「小説」としての欠点は、
「手記」としてみたときには
実に自然なものになるのです。
こうしたことを計算に入れて、
事件に関係のない第三者が
書いたとすれば、それはよほど
緻密な構成力といえるでしょう。
そうであれば著作が
この一作品のみであるとは
考えにくくなります。
すでに多くの作品を世に送り出している
力のある作家の誰かとなるはずです。

ネットで調べてみると、
本作品は別の作家名で出版されたものに
加筆修正をして
再出版されたものであるという
情報もありました。
ますますわからなくなります。

いろいろ考えるのはやめましょう。
この作品は間違いなく
三億円事件の実行犯の女性が
当時を振り返りながら
書き綴ったものである。
そう思い込んだ方が
楽しいと思うのです。
そして何よりも、読み手を納得させ、
物語に強引に引き込むような
エネルギーのある作品です。
この世界にのめり込んだ方が
絶対に得です。

三億円事件は私が物心つかない時代に
起きた事件ですが、
その時効が迫った日の記憶はあります。
ニュースはそのことでもちきりでした。
三億円事件の犯人が捕まらないことに
子どもながらに、
悔しい思いを抱いていました。

本作品にノスタルジーを感じるのは、
私よりも上の世代の方だと思います。
でも、あえて
中高生にも薦めたいと思います。
迸るだけの若いエネルギーを
感じる作品なのですから。

(2020.3.23)

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